したのね」
「うん、なった。――だが」
 ここでちょっと逸作は眼を俯《うつむ》けていたが何気なく言った。
「一郎だけは、二人がいなくなった後も孤児の気持にはさしたくないものだ」
 わたくしは再び眼を上げて、蓮《はす》の枯茎のOの字の並べ重なるのを見る。怱忙《そうぼう》として脳裡《のうり》に過ぎる十八年の歳月。
 ふと気がついてみると、わたくしの眼に蓮の枯茎が眼について来たのには理由があった。
 夜はやや更《ふ》けて、天地は黒い塀を四壁に立てたように静まり閉すにつれ、真向うの池の端の町並の肉色で涼しい窓々の灯、軒や屋根に色の光りのレースを冠《かぶ》せたようなネオンの明りはだんだん華やいで来た。町並で山下通りの電車線路の近くは、表町通りの熾烈《しれつ》なネオンの光りを受け、まるで火事の余焔《よえん》を浴びているようである。池の縁を取りまいて若い並木の列がある。町並の家総体が一つの発光体となった今は、それから射出する夜の灯で、これ等の並木は影くろぐろと生ける人の列のようにも見える。並木に浸み剰《あま》った灯の光は池の水にも明るく届いて、さてはその照り返しで枯蓮の茎のO字をわたくしの眼にいちじ
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