を離れていて呉《く》れて、わたくしたちの悲歌劇の一所作が滞りなく演じ終るまで待っていて呉れた。そして逸作が水を飲み終えてコップを盆に返すのをきっかけ[#「きっかけ」に傍点]に葬列は寺へ向って動き出した。
菩提寺《ぼだいじ》の寺は、町の本陣の位置に在るわたくしの実家の殆《ほとん》ど筋向うである。あまり近い距離なので、葬列は町を一巡りしたという理由もあるが、兎《と》に角《かく》、わたくしたちは寺の葬儀場へ辿《たど》りついた。
わたくしは葬儀場の光景なぞ今更、珍らしそうに書くまい。ただ、葬儀が営まれ行く間に久し振りに眺めた本尊の厨子《ずし》の脇段《わきだん》に幾つか並べられている実家の代々の位牌《いはい》に就《つ》いて、こども[#「こども」に傍点]のときから目上の人たちに聞かされつけた由緒の興味あるものだけを少しく述べて置こうと思う。
権之丞というのは近世、実家の中興の祖である。その財力と才幹は江戸諸大名の藩政を動かすに足りる力があったけれども身分は帯刀御免の士分に過ぎない。それすら彼は抑下《よくげ》して一生、草鞋穿《わらじば》きで駕籠《かご》へも乗らなかった。
その娘二人の位牌《いはい》がある。絶世の美人だったが姉妹とも躄《あしなえ》だった。権之丞は、構内奥深く別構へを作り、秘《ひそ》かに姉妹を茲《ここ》に隠して朝夕あわれな娘たちの身の上を果敢《はか》なみに訪れた。
伊太郎という三四代前の当主がある。幕末に際し、実家に遁入《とんにゅう》して匿《かく》まわれた多くの幕士の中の一人だが、美男なので実家の娘に想《おも》われ、結婚して当主に直った人であった。生来気の弱い人らしく、畢生の望みはどうかして一度、声を出して唄《うた》を謡ってみたいということであった。或る人が彼に、多摩川の河原へ出て人のいないところで謡いなさいと進言した。伊太郎は勧めに従ってひとり河原に出てはみたものの、ついに口からよう謡い出ずに戻って来た。
蔵はいろは四十八蔵あり、三四里の間にわが土地を踏まずには他出できなかったという。天保銭は置き剰《あま》って縄に繋いで棟々の床下に埋めた。こういう逞《たくま》しい物質力を持ちながら、何とその持主の人間たちに憐《あわ》れにも蝕《むしば》まれた影の多いことよ。そしてその蝕まれるものの、また何と美しいものに縁があることよ。
逸作はいみじくも指摘した「おまえの
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