うとしているのだ。畜生ッ。生ける女によって描こうとした美しい人生のまんだら[#「まんだら」に傍点]をついに引裂こうとしている。畜生ッ。畜生ッ。家霊の奴め」
 わたくしの肩は逸作の両手までがかかって力強く揺るのを感じた。
「だが、ここに、ただ一筋の道はある。おまえは、決して臆《おく》してはならない。負けてはならないぞ。そしてこの重荷を届けるべきところにまで驀地《まっしぐら》に届けることだ。わき見をしては却《かえ》って重荷に押し潰《つぶ》されて危ないぞ。家霊は言ってるのだ――わたくしを若《も》しわたくしの望む程度まで表現して下さったなら、わたくしは三つ指突いてあなた方にお叩頭《じぎ》します。あとは永くあなた方の実家をもあなた方の御子孫をも護《まも》りましょう――と。いいか。苦悩はどうせこの作業には附ものだ。俺も出来るだけ分担してやるけれどお前自身決して逃れてはならないぞ。苦悩を突き詰めた先こそ疑いもない美だ。そしてお前の一族の家霊くらいおしゃれ[#「おしゃれ」に傍点]で、美しいものの好きな奴はないのだから――」
 読書もそう好きでなし、思索も面倒臭がりやの逸作にどうして、こんないのち[#「いのち」に傍点]の作略に関する言葉が閃《ひら》めき出るのであろうか。うつろの人には却っていのち[#「いのち」に傍点]の素振りが感じられるものなのだろうか。わたくしはそれにも少し怖《おそ》れを感じたけれども、眼の前の現実に襲って来た無形の大磐石のような圧迫にはなお恐怖を覚えて慄《ふる》え上った。思わず逸作に取縋《とりすが》って家の中で逸作を呼び慣《なら》わしの言葉の、
「パパウ! パパウ!」
 と泣き喚く顔を懸命に逸作の懐へにじり込ませていた。
「コップを探してましたもんでね、どうも遅くなりました」と、言って盆に水を運んで来た茶店の老婆は、逸作が水を飲み干す間、二人の姿をと見こう見しながら、
「そうですとも、娘さんとお婿さんとでたんと泣いてお上げなさいましよ。それが何よりの親御さんへのお供養ですよ」
 と、さもしたり[#「したり」に傍点]顔に言った。
 他のときと場合ならわたくしたちの所作は芝居|染《じ》みていて、随分妙なものに受取られただろうが、しかし場合が場合なので、棺輿の担ぎ手も、親戚《しんせき》も、葬列の人も、みな茶店の老婆と同じ心らしく、子供たち以外は遠慮勝ちにわたくしたちの傍
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