して母親と会はせて呉《く》れろといふ条件も直ぐ近所のお邸《やしき》なので聞きとゞけられたのさ。やはり自然と他所《よそ》で風呂になど男の女がは入《い》り度《た》くない気もちがおとうさんに働いたんですね。それから半年、一年と月日が流れおとうさんが十八の春にもなつた頃、おとうさんのお気持ちはとてもとても、苦しいものになつて居ました……。
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お母さんは云ひ淀《よど》みました。むすことむすめも少し堅くなつておとうさんとおかあさんを見較べました。
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――つまりね。まあ少し云ひ憎《にく》いが、おとうさんがそのお嬢様を大変お慕ひ申すやうにおなりになつてしまつた。お嬢様はお美しい上に、傍に居れば居る程、お利口で優しくなつかしい御性質なのでそれは無理もないことでしたらうよ――しかし、たとへおとうさんが男そのままでお慕ひ申した処が御身分も違ひまして女であり切つてゐるおとうさんが、そんなところをお嬢様にお知らせ申せるわけのものではなし、とかうして苦しんでおいでの処へ、またも一つおとうさんに苦しい事情が出て来ました。ほかでもないそのS家のお嬢様にお兄様がおいでになつた。お歳は二十位。そのお方がいつか娘姿のおとうさんをすつかり女と思つてお慕ひになるやうにおなりなさつた。しかもそのお兄様はS家の大切な一番御子息、そして御病気になる程思ひ慕つてお仕舞《しま》ひなされたのだから困ると云つても一通りの困り方では無く、或《ある》日、お嬢様を通してそのおこころもちをおとうさんにお打ち明けなさつた。おとうさんは御自分の悲しい恋に引くらべ、到底悲恋であるべきお兄様のお心を思ひくらべ乍《なが》ら何にも御存じなくそれを仰《おっしゃ》るお嬢様の御顔をぢつと見詰めて涙を流されたと云ふことですよ。
――で、結局どうなりました。
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もうさうした人情を正当に解し得る年齢のむすことむすめでありました。正面切つて真面目《まじめ》に追及したのも無理はありません。
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――結局おとうさんはS家からお退《ひ》きになつた……お嬢様といふ悲恋の対象から御自分を退かせる為と御子息の悲恋の対象である自分をお邸《やしき》から消す為にね……。
――そしておとうさんは直ぐお家へ帰られましたの。
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むすめの聞きさうな事です。
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――いいえ。このわたし==おかあさんの処へ来られたの。
――今度は、わしが話さう。
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とおとうさんが二十年来むすことむすめが聞きなれたおとうさんの声で云ひました。ですが、今まで長いおかあさんのおはなしの内で娘姿にばかり想像して居たおとうさんが突然、男の声を出したので、ほんの一瞬間ではありましたが、むすめも、むすこも何か、あでやかな変怪の姿のなかから忽然《こつぜん》、おとうさんが男姿で抜け出したやうな不思議な感じがいたしました。
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――お前たち、その頃、おかあさんが、どんな男でゐたか想像がつくか。
――いいや、とても、それは難かしい。
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むすこは全く、このはなしの中心に身を入れ切つて其処《そこ》から途方もなく開展して行き相《そう》な事件に対する好奇心の眼を瞠《みは》つて居るのでした。
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――おかあさんは美青年だつたぞ。だが、まだ恋愛事件になぞ身を縛られてゐなかつた。と云つても、やつぱり外《ほか》の事情で身を縛られてゐたから、厄介な境遇だつたことに変りは無かつた。おかあさんは気性が女の内気であり乍《なが》ら乗馬や、ほかの武芸に実に優れて居た[#「優れて居た」は底本では「優れた居た」]。お前達の知る通り田舎《いなか》でもおかあさんの耕作達者には村の人達も息を引いて居るのと思ひ合せて御覧、美しい優しい顔して居るおかあさんの今でもこんなに立派な体格をご覧。
――ほほほほ……。
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おかあさんの張《はり》のある綺麗《きれい》な笑ひ声……むすこも、むすめも、勇ましいおかあさんの男姿に引き入《いれ》られようとした想像からまた引戻されました。
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――笑つたりしてはいけないおかあさん……かういふ話は一歩それると飛《とん》でも無い不面目なものになる。
――はい。
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おかあさんも真面目《まじめ》な聴きてになりました。
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――おかあさんの母親はおとうさんの母親よりやま[#「やま」に傍点]気があつてしつかり者だつただけに仕事も小さい乍《
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