なが》ら機業工場なんか始めた。大分具合ひは宜《よ》かつたがもともと資本はひと[#「ひと」に傍点]から借りた。貸した人があとでおかあさんを義理で縛つた爺《じい》さんよ。と云つても爺さんは決して悪人では無い。ただ昔武人だつた丈《だけ》に冒険|癖《へき》があつたが本性はむしろ善良だつた位だ。それで却《かえ》つてこちらから義理を迎へて縛られてしまつたやうなわけだ。義理も強《し》ひられたのはまだそこから逃げ宜《よ》いよ。なんと云つたつて迎へた義理は自分で造つた罠《わな》へ自分で罹《かか》つたも同じだよ。つまり罠の仕組みを知れば知る程、知らない仕組みにかゝつたやうに無茶に逃げ出す力が出ないからな。ところでその爺《じい》さんがおかあさんの武者振《むしゃぶ》りには他には類の無い裏にデリケートな処がある。つまり一遍の武辺《ぶへん》では無いと見て取つたとでも云はうかな。はははは……(しまつた今度はわしが笑つた)でも本性が女だからな、云はばまあ、その方が当り前の事だ。デリケートな裏の方が本当で、表の武威がむしろ借り物なのだ。しかし、わしがあでやかな娘姿であつたと同じやうにおかあさんにしても、どうせ女として生れ乍《なが》ら男で世間を押さねばならぬ様な運命に生れた者には、やはりそれ相当の保護色が備はつて裏も表も調和よく発達したものなんだな。爺さんが其処《そこ》を目付けどころにしたんだ。爺さんが毎年その都に行はれる荒馬《あらうま》馴《な》らしの競技場へおかあさんの美丈夫《びじょうふ》を出し度《た》くなつたんだ。今一二年馬術を猛烈に勉強すれば、屹度《きっと》優賞者になれる見込みのある好乗馬青年だ。就《つい》ては、是非《ぜひ》自分の愛婿《まなむこ》として出て貰《もら》ひ度《た》いといふ希望だ。この種の人に有り勝ちな極《ごく》、無邪気な虚栄家なのだ。尤《もっと》も愛婿とするにしても、何も自分の家へ引き入れて只《ただ》一人の母親を放擲《ほうてき》して来させようなんて業慾なことは云はない。爺さんに小さな可愛《かわ》ゆい娘があつた。その娘をゆくゆく貰ふ約束を極《き》めて外戚の婿に定まつて呉《く》れといふのだつた。
――さうありさうな尤な話ですね。
――さうか、お前たちもさう思ふか。さうだとも其処《そこ》にその話を断る何の理由も存在しない以上、それをよろこんで承諾するよりおかあさん親子のとる道はなかつたらうぢやないか。しかも、それはどこまでも表面のおかあさんに適当な条件であつて裏面の女性を何《どう》しやうも無い。いくら武術を好み乗馬に巧みだからと云つて、国全体を震憾《しんかん》させるやうな荒競技に……それにまた達するやうな猛練習など第一生理的耐持力もありやう筈《はず》は無い。おかあさん親子ははた[#「はた」に傍点]と返答に行き詰まつたが、爺さんの頼みがごういん[#「ごういん」に傍点]でなくまた恩を笠《かさ》の命令的でもなくまるで年寄りが余生の願望の只一つのやうな哀願的な態度で頼み入るので先刻云つたやうにそれ、義理を迎へ入れるやうにして却《かえ》つてこちらからはまつて行つてしまつた。絶体絶命の承諾といふ境地には入《い》つた形になつて居たんだな。
――そこへS家から逃げ出したおとうさんが行き合せたんですね。
――さうだ。聴き手のお前達が、この物語の構成者になつちまつたな。有難いよ、さう熱心に聴いて呉《く》れれば、はは……(しまつたまた、笑つちまつた。)それでと、今まで別に自分達の運命を不思議にも思つて居なかつた二人が、始めて因果同志のかこち[#「かこち」に傍点]合ひをしたのだな。一たん嘆き始めると、何もかもあべこべな二人の運命に気がついて、果てしもなしに悲しくなつた。と云つて、今さら、二人が二人の母親に抗議を申込む気にもなれず、さうだ、わし達は逆な運命を痛感すると同時に、母親と面と向へば、どうも、さういふ運命のつくり主である母親を責めさうで、却《かえ》つて足が母親の方に向かなかつた。気が弱いと云はうか、それよりも、まあ、優しい気だてだつたと云つて置かう、わしがS家から逃げておかあさんの処へ向つたのも、自然、親を責めさうな機運を意識して、却つてそこから廻逃したのだな。そして親より以外に本当の自分の運命を知るものは自分と同じに性を取違へてゐるおかあさんより外《ほか》にない、どうも、其《そ》のおかあさんの処へ行つて見るよりほかに思案も無かつたのだ。
[#ここで字下げ終わり]
これから先は作者がまた話すことにしませう。おとうさんも大分語り疲れたやうですから。おとうさんとおかあさんはとど都から姿をかくすことに相談を極《き》めました。二人とも母親を残して行くことは実に悲しいことでありましたが、止《や》むを得ない当面の仕儀、そしてこのまま、不自然な二人が都に苦しみ乍《なが》らうろ
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