つて居た。
彼はゆつたりと坐《すわ》つて作法のやうに受汚《ちゃきん》で茶盞を拭《ぬぐ》ひ、茶瓶の蓋を開けて中を吟味し、分茶盒《ちゃいれ》と茶罌を膝《ひざ》元に引付けた。そして湯の沸くのを待つた。彼は幼時、いのちにかかはるほどの疱瘡《ほうそう》をして、右の手の中指は小指ほどに短かつた。左の手の人差指も短かつた。さういふ不具の手を慣して器物を扱つてゐるので、一応は何気なく見えるが、よく見ると手首は器物に獅噛《しが》みついてゐた。まるで餓鬼《がき》の執著ぢや。彼はわざといやなものを自分に見せつけるいこぢな習癖がここに起るときに、その手首を眼の前でひねくつて、ひとりくつくつと笑つた。さういふ手で筆を執《と》るのだから、どうせろくな字を書けつこないと自分を貶《けな》し切り、人がどんなに出来|栄《ば》えを褒《ほ》めても決して受け容れなかつた。
火鉢にかけた湯鑵の湯水が、やうやく暖まつて来て、微々の音を立てるやうになつた。秋成は、膝に手を置いて、そより、とも動かなかつた。ただ湯の沸くのを待つだけが望みであるこの森厳で気易《きやす》い時間に身を任せた。木枯《こがらし》が小屋を横に掠《かす》め、また
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