心構へであつた。それで、茶具の数も、定めの数の二十具を減して十六にし、また、十二具にし、やぶれた都籠から取出したのはぎりぎり間に合せの茶瓶、茶盞、茶罌《ちゃつぼ》ぐらゐの数に過ぎなかつた。けれど、煎茶の態度は正しかつた。生活は老貧のくづすままに任せたけれど、そのなかにただ一筋、格をくづさぬものを、踏みとどめ残して置きたいといふのが、老人の最後の自尊心だつた。
彼は、湯鑵《ゆがま》に新しく水をいれて来て火鉢に炭をつぎ添へてかけた。彼は水にやかましかつた。近所の井戸のものには腥気《せいき》があるとか、鹹気《かんき》があるとかいつて用ひなかつた。わざわざ遠くの一条の上の井戸から人を雇つて甕《かめ》に汲《く》みいれさせた。
京摂の間では、宇治の橋本の川水が絶品だと云つて、身体のまめなうちは、水筒を肩にかけ一日仕事でよく汲みに行つた。それらの水を貯へた甕は夕方から庭に持ち出して蓋《ふた》をとり、紗帛で甕の口を覆ひ、夜天に晒《さら》した。かうすると、水は星露の気を承《う》けて、液体中の英霊を散らさないと、彼は信じて居た。何でも事物の精髄を味《あじわ》ふことには、彼はどんらんな嗜慾《しよく》を持
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