、蛙《かえる》のやうに見える。
箸《はし》を箸箱に仕舞《しま》ひながら、彼はおおさうぢやと気がついて、部屋の隅からざるで伏せてあつた小鍋を持つて来て箸を突込み、まづさうに食ひ始めた。鍋にはどぜうが白つぽく煮てあつた。彼はこれを喰べるとき、神経質に窓や裏口を睨《にら》んだ。五十七歳で左眼をつぶして仕舞ひ、六十五歳でその左の眼がいくらか治つたかと思ふと、今度は右の眼が見えなくなつた。それから死を待つ今日まで眼の苦労は絶えなかつた。
どぜうがよろしいと勧める人があるので食ひ続けて居るのを、一度わからずやの僧侶に見つかつて、人間は板歯で野菜|穀《こく》もつを食ふやうに出来てゐる。どぜうなど食ふは殺生《せっしょう》のみか理に外《はず》れてゐる。とたしなめられ、その場は養生喰ひだと、抗弁はしたものの、その後は、食ふたびに気がさした。死ぬのに眼などはもうどうでもよろしいではないかと思ひつつも養生はやめられなかつた。
小さいとき驚癇でしばしばなやまされながらも、神経の強い彼はときどき妄想性にかかつた。狐狸《こり》の仕業はかならずあるものと信じて居た。内心|忸怩《じくじ》としながらかうやつてどぜう
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