興に殉じた小伎倆《こうで》立てが、自分ながらいまいましく、この冊子を見る度にをこな自分を版木に刷り、恥ぢづら掻《か》いて居るやうで、踏まば踏め、蹴《け》らば蹴れ、と手から抛《ほう》つて置くとこまかせ、そこら畳の上に捨てても置いた。この冊子が世間で評判のよかつたことにも何といふことなしに反感が持てた。要するに愛憎二つながらかかつてゐる冊子であるため、ついそばに置いて居るといふのが本当のところかも知れない。土瓶敷《どびんしき》代りにもたびたび使つた。鍋《なべ》や土瓶の尻《しり》しみが表紙や裏に残月形に重つて染みついてゐた。
 湯気で裏表紙が丸くしめり脹《ふく》らんだ蓋《ふた》の本をわきへはねて、鉢《はち》の中にほどよく膨《ふく》れた焼米を小さい飯茶椀《めしぢゃわん》に取分け、白湯《さゆ》をかけて生味噌《なまみそ》を菜《さい》にしながら、秋成はさつさと夕飯をしまつた。身体は大きくないが、骨組はがつちりしてゐて、顎《あご》や頬骨《ほおぼね》の張つてゐるあばた面《づら》の老人が、老いさらばひ、夕闇に一人で飯を喰べて居る姿はさびしかつた。とぼけたやうな眼と眼が、人並より間を置いて顔についてゐるのが
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