なことをうれしいとも思はない無意識の状態で、自分を眺めるのだつた。
 最初から、すこし、いける口の彼女であつたが、それからは遠慮もなく、金があれば酒を飲み出し、京都へ移つてからは、画描きの月渓など男の酒飲み友達と組になり、豆腐ぐらゐの肴《さかな》でわびた酒盛をしじゆうやつた。
 この女も尼になつてから七年目、自分が六十六歳、彼女が五十八歳のとき死んだ。
 彼女に就いては死んだ後、まだ一つ意外な思ひをさせられた。
 彼女は自分の道楽を見習つて、すこしは歌めくもの、まれに短文などつづりもしたが、元来家事向きに出来て居る女の物真似、なに程の事ぞときめて、取り上げた事もなかつた。彼女も臆《おく》して自分には見せなかつた。ところが彼女が死に、彼女のすこしばかりの遺《のこ》しものの破れた被布《ひふ》、をさながたみの菊だたう[#「菊だたう」に傍点]など取片づけてゐるうちに、ふと、糸でからめた文反古《ふみほうご》の一束を見つけ出した。読んで見ると、自分の放埒《ほうらつ》時代にしじゆう留守をさせられた彼女の、若き妻としての外出中の夫に対する心遣ひを、こまごまと打開けたものや、子の無い自分が長柄川閑居時代
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