させた。彼はこの時までに俳諧では高井|凡圭《きけい》、儒学は五井蘭州《ごいらんしゅう》、その他|都賀庭鐘《つがていしょう》、建部綾足《たけべあやたり》、といふやうな学者で物語本の作者である人々についても、すこしは教へを受けたが、大たいはその造詣を自分で培《つちか》つた。それも強《し》ひて精励努力したといふわけでは無い。幼年から数奇《すうき》な運命は彼の本来の性質の真情を求めるこころを曲げゆがめ、神秘的な美欲や愛欲や智識欲の追躡《ついじょう》といふやうな方面へ、彼の強鞣な精神力を追ひ込み、その推進力によつて知らぬ間に、彼の和漢の学に対する蘊蓄《うんちく》は深められてゐた。彼の造詣の深さを証拠立てる事は彼が三十五歳雨月物語を成すすこし前、賀茂真淵《かものまぶち》直系の国学者で幕府旗本の士である加藤|宇万伎《うまき》に贄《し》を執《と》つたが、この師は彼の一生のうちで、一番敬崇を運び、この師の歿《ぼっ》するまで十一年間彼は、この師に親しみを続けて来たほどである。この宇万伎は、彼が入門するとたちまち弟子よりもむしろ友人、あるひは客員の待遇をもつて、彼に臨み、死ぬときは、彼を尋常一様の国学者でな
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