だつた。
 養家の父母の甘いをよいことにして、秋成はその青年期を遊蕩《ゆうとう》に暮した。この点に於て普通の大阪の多少富裕な家の遊び好きのぼんちに異らなかつた。当時流行の気質《かたぎ》本を読み、狭斜《きょうしゃ》の巷《ちまた》にさすらひ、すまふ、芝居の見物に身を入れたはもとよりである。そこに俳諧《はいかい》の余技があり、気質本二篇を書いては居るが、これは古今を通じて多くの遊蕩児中には、ままある文学|癖《へき》の遺物としてのこつたに過ぎない。ところが、三十五歳、彼の遊蕩生活が終りを告げるころ、彼は突如として雨月物語を書いた。この物語によつて彼の和漢の文学に対する通暁さ加減は、尋常一様の文学青年の造詣《ぞうけい》ではない。押しも押されもせぬ文豪のおもかげがある。遊蕩青年からすぐこの文豪の風格を備《そな》へた著書を生んだその間の系統の不明なのに、他の国文学者たちは一致して不思議がつて居る。殊《こと》に彼自身、二十余歳まで眼に国語を知らず、郷党《きょうとう》に笑はれたなどと韜晦《とうかい》して人に語つたのが、他人の日記にもしるされてあるので、一層この間の彼の文学的内容生活は、他人の不思議さを増
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