ろから考へると、いづれは公《おおやけ》にし難い関係から生れた自分だらう。物ごころついてそこに父と呼び母と呼ぶところの人があるのに気がつく時分にはもう堂島の上田の家に引取られて居た。上田氏が自分の何に当るか訊《き》く気はなかつた。訊けば嘘をつかれるだらうと判つてゐた。同じ嘘なら現在むやみに可愛がつて呉れる上田夫妻を、父と呼び、母と呼ぶ嘘の方が、堪へられた。彼の数奇《すうき》な運命は幼年の彼に、こんなませた考へをもたせた。
二度目の母である上田の妻も自分を愛したが二三年を数へただけで死んだ。母といふものはたいがい早く死ぬものと、こども心にきめて何とも思はなかつた。ところが、上田氏の迎へた後妻で、自分に三度目の母になる女は、長生きした。彼女は秋成が六十近い年齢になるまで生きて妻と一しよに自分が引脊負《ひきせお》つて歩いた女である。その女も母として自分を可愛がつた。それで秋成の若いうち、世間はあなたはふしあはせのやうでも仕合せな方、二人もおふくろさんを代へて、しかもどのまま母もまま母のやうでない方、と言つた。だが、今考へるのにそれもよしあしだ。まま母が、まま母らしくむごたらしくして呉《く》れ
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