をひいて聴かせたものだ。そのまじめくさつた歌にはをかしくて堪へられなかつたが、無理に我慢して歌詠み仲間の礼儀に歌の遣《や》り取りをしたものだつた。だが深切気のあるおやぢで、自分ののらくらして居るのを見兼《みか》ねて、せめて弟子取りでもしろと、勧めて呉《く》れた。自分はおもふさまなことを云つてそれをはねつけ、あの律儀なおやぢに、溜息《ためいき》を吐《つ》かせた。
大雅《たいが》、応挙《おうきょ》、月渓《げっけい》などといふ画人が、急に世にときめき出したのも、癪《しゃく》に触つた。彼等の貧乏時代は、茶屋の掛行燈《かけあんどん》など引受け、がむしやらに雑用《ぞうよう》稼ぎをして、見られたざまではなかつたのを、この頃はすつかり高くとまり、方外の画料を貪《むさぼ》る。中にも月渓とは、智恩院の前の住ひでは、すぐ近所合ひであり、東洞院では同じ長屋住ひで味噌《みそ》醤油《しょうゆ》の借り貸し、妻の瑚※[#「王+連」、第3水準1−88−24]尼が飲める口であつたので、彼はよい飲み友達にして湯豆腐づくめの酒盛りなど、度々したものだつた。その頃からこの画描きは、食ひ道楽、飲み道楽、その上にもう一つの道楽も
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