自分に、若《も》し、もう少し和歌の志《こころざし》が篤《あつ》く、愚直の性分があつたら、あの流儀は自分がやりさうなことであつた。その「ただ言歌」の心要として蘆庵の詠《よ》んだ、
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言の葉は人の心の声なれば
思ひを述ぶるほかなかりけり。
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といふ歌などは「雨降るわ、傘《かさ》持てけ」のたぐひで歌とも何とも云ひやうのないものだが、なぜかそれが、歌を詠まうとするときには、必ず先きに念頭に浮んで詠みはづまうとする言葉の出頭《でがしら》を抑へ、秋成をいまいましがらせた。
野暮な常識臭いものを固く執《と》つて動かない蘆庵の頑迷|不遜《ふそん》が彼の感興を醒《さま》した。そしてまた歌はいくらやつても蘆庵が先きに掻《か》き廻して居るといふ感じが強かつた。蘆庵といふ男は始め天下一の剣士になるつもりで、それが適《かな》ひさうもなくなつたので、歌に変つたのだといふほどあつて、とても一徹なところがあり、四十年近くも地虫のやうに岡崎に棲《す》みつき、二本の庭の松を相手に、歌のことばかり考へて居た。自分がはじめて彼を訪ねたときには、もてなしだと云つて、武骨な腕で、琴
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