の手習ひで始めた国学もわれながら学問の性はいいのだが、とにかく闘争に気を取られ、まとまつた研究をして置かなかつたのが次に口惜《くや》しい。俺を、学問に私すると云つた江戸の村田|春海《はるみ》、古学を鼻にかける伊勢の本居宣長《もとおりのりなが》、いづれも敵として好敵ではなかつた。筆論をしても負けさうになればいつでも向ふを向いて仕舞《しま》ふぬらくらした気色の悪い敵であつた。これに向ふにはつい嘲笑《ちょうしょう》や皮肉が先きに立つので世間からは、あらぬ心事を疑はれもした。人間性の自然から、独創力から、純粋のかん[#「かん」に傍点]から、物事の筋目を見つけて行かうとする自分のやり方がいかに旧套《きゅうとう》に捉《とら》はれ、衒学《げんがく》にまなこが眩《くら》んでゐる世間に容れられないかを、ことごとく悟つた。
和歌については、小沢蘆庵《おざわろあん》のことが胸に浮んだ。一方では、堂上風の口たるい小細工歌が流行《はや》り、一方では古学派のわざとらしい万葉調の真似手の多いなかに、敢然《かんぜん》立つて常情平述主義を唱へ「ただ言歌《ことうた》」の旗印を高く掲げた才一方の年上の老友がうらやまれた。
前へ
次へ
全43ページ中12ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 かの子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング