えていたが、眼の縁、口の周り、頬の辺りなど、いつのまにか淡墨色のくまどりが現われて、大人の女の古びやつれたような表情に見えていた。用を失って萎《な》えた政枝の手足は、多可子がそっと触ってみると小猫の手足のように軽くてこたえがなかった。多可子はこの病には若くて瑞々《みずみず》しい者ほど抵抗力がないと云った医師の言葉を思い出して暗然とした。
 政枝にはいろんな事が気になった。今日も裏の材木堀の向うに在る製板所の丸鋸《まるのこ》が木材を切り裂き始めた。その鋭い音が身体に突き刺すように響いた。すると今までうとうと眼を閉じていた政枝は「ああ」とうめいて両手で耳を塞《ふさ》いだ。そして、
「早く戸や障子を締めて下さい」
 と叫ぶので多可子は急いで戸と障子をしめてから政枝の傍へ戻って来て坐ると、政枝はまだ耳を圧《おさ》えたまま、多可子の方へ振り向いて調子のとれない変な声で訴えた。
「あの音を聞くと私の胸の中の悪いところがきまって痛み出すんです。こんな家にいることは堪りませんわ。何処かへ移して貰えないでしょうか」
 政枝は情なくて堪らぬという感じを顰《しか》めた顔附きで現わした。
 父親の寛三が医師を
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