か一つの問題に捉へられるとそれからなかなか解放されない性質でした。感情家だつたからでせう。そんな時、相手の立場はあまり兄には考へられない一種の愛すべき利己主義と兄はなるのでありました。
「ねえ、君、そふだらう、神が全能の力を持つならば、何故、その力をはたらかしてこの世の悪を立ちどころに一掃しないんだ。この疑問が解決されないうちは僕はやつぱり神の存在なるものを全々信じ切ることは出来ないんだ。」
 斯ふ云ひ終つて苦しげに兄は溜息をつきました。兄はその頃、詩歌小説にふけりすぎて神経衰弱になつた結果、或友人の深切に誘はれて、キリスト教信者となりかけて居ました。内気な兄は、教会の牧師に面と向つて、思ふままに質問が出来ないのでおのづとそれが内に鬱没とし、やがて私の方へ発して来るのでした。
「たとえ全身をもつて信仰し得られたとしても、僕は寂しいよ。芸術の美と宗教の善と到底一致しないだらうからね。芸術家たらうとする僕にはこれが大問題だ。」
 聞き手の私が確答し得なかつたのは勿論でした。私はまだ女学校五年の生徒たるに過ぎませんでした。しかし兄は、返事などはどふでもよかつたらしい、何れの場合にも兄を敬愛す
前へ 次へ
全8ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 かの子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング