蹲《うずくま》る。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
阿闍梨『様子のほどは、略《ほぼ》門内より覗《うかが》い知った。源右衛門とやら、山科坊より親鸞影像を引取りに参りし由。大儀であるぞ』
源右衛門『恐れ入りましてござりまする』
阿闍梨『して、引換えの礼物ほ、確《し》かと持参いたしたな』
源右衛門『はい。これでござりまする』(袖の包みより源兵衛の首を出して前に置く。)
阿闍梨『や、や、こりゃ真正の生首』
源右衛門『粗末の品ではござりまするが、手塩にかけて育てた忰。首の素性は確《たしか》でござりまする』
阿闍梨『よもや、それまでは得為《えな》すまじと思いしに、まことに首を持ち来りしか。(暫時深き思い入れ。また思い返して)然し源右衛門、約束は約束。首の数は二つであった筈だが』
源右衛門『あとの一つは即ちこの首。(自分の首を指して)体につけて持参しました。御手数ながら切り取って二つの生首、お揃え下され』
[#ここから2字下げ]
(阿闍梨始め法師一同、驚き且つ厳粛な気分にうたれ、暫らく沈黙。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
阿闍梨(嘆息)『蓮如どのは、よい信徒を持たれた。うらやましいことである。(源右衛門をみつめて小間。)これ源右衛門とやら、親鸞の影像は直ちにそちに渡して取らす。大事に護《まも》り戻って山科坊へ安置いたせ』
源右衛門『え、え、すりゃ、私奴にお返し下さりまするか。……でも御入用の今一つのこの首は』
阿闍梨(不憫の声音にて)『決して、いらぬ』
源右衛門『それは、まことでござりまするか』
阿闍梨『偽を申そうか。それ寺の衆。影像を持って来て此の者に取らせよ』
法師五六人『はい』(門内へ入る)
阿闍梨『今更言うても由ないことだが、首二つの引換え料とは、ありゃ此の方の切ない苦肉の親切から、出来ぬ難題を持ちかけ、今暫らく影像を、此の方に預って置くつもりじゃった』
源右衛門『はて、親切とおっしゃりますと』
阿闍梨『蓮如どのは永の流浪《るろう》。たとえ北国辺土は教え靡《なび》くとも、都近くは留守の間の荒土。然るに叡山の西塔慶純の末流も、まだ居ることなれば、たとえ山科坊建立あるとも、いつ如何なる折を見付けて再び乱入なさんも知れず。その理由言うて聞かして親鸞影像を、なお暫らく三井寺方へ預り置かんとすれど、勢込んだる門徒衆の執心。影像堂の新築落成と共に取り戻しに来るは必定。そのゆえ無理難題を言いかけ、此方《こちら》で影像擁護の為め、今暫らくそちらへの取戻しは、諦めさせ置こうとの、此の方の苦肉の親切。その方便を正直にうけ取って命を捨つる親子の信念。斯かる例を見るからは、最早や如何なる怨魔出で来るとも、退散させて弥陀の念仏。一宗再興疑いなし。出来《でか》したぞ堅田の源右衛門。この上は心よく、親鸞影像を戻し返してつかわすのみか、他宗ながら忰源兵衛の菩提も、こなたで弔《とむら》い追善供養。三密|瑜伽《ゆが》の加持力にて、安養成仏諸共に、即身成仏兼ね得させん。心を安めよ仏子源右衛門』
源右衛門(額《ぬか》ずきつつ)『老先《おいさき》短いこの年寄が、忰に代って生き永らえ、悲しいやら面目ないやら、心苦しゅうござりまするが、御門徒宗が他宗の智識に、これほどまでに褒《ほ》められる手柄をしたと思えば、どうやら心が慰められます。お察しなされて下さりませ』
[#ここから2字下げ]
(法師五六人、親鸞聖人の木像を担ぎ出して来る)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
阿闍梨『親鸞どのもいたわしゅう思召《おぼしめ》されていらるるだろう。それ、各僧、源右衛門の背に負わしてやられよ』
法師一同『畏《かしこま》りました』
[#ここから2字下げ]
(此の時おくみは跣足《はだし》で先に、蓮如上人は駕《かご》に乗り、取るものも取りあえぬ形で花道を駈けつけて来る)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
おくみ(源右衛門に取りついて)『もうし、ととさん、こちの人はどうしやさんした』
[#ここから2字下げ]
(源右衛門、親鸞聖人の木像を背負いつつ、顔をそむけて、うつ向く。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
おくみ『黙っていなさるは心がかり。早う教えて下さりませ』
源右衛門『これ嫁女、源兵衛はな』
おくみ『源兵衛さんは?』
源右衛門『それ、そこじゃ』(顎にて袖の千切れに包まれし首を示し、涙をはらはらと落す。)
おくみ(袖の首を取上げて)『やっぱり覚悟の通りにならしゃんしたか。ととさんと一緒に旅立ちの様子がおかしいと、直ぐそのあとでかかさんを攻め詰《なじ》って漸《よう》よう訊いた事の仔細。それから山科の御坊に
前へ
次へ
全9ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 かの子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング