声あって)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
×××『二人とも争うには及ばぬ。こちへ入れ。直ぐに夫婦にしてやろう』
源兵衛『そういう声は、父者の声』
おさき『親が許して夫婦の盃、御仏前でさすほどに、おくみ坊も早う、こなたへ入るがよいぞや』
[#ここから2字下げ]
(裏の背戸開く)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
おくみ『これはまた、どうした運やら。たとえ狐狸の仕業《しわざ》とあっても、わたしゃ悦んで騙《だま》されよう。のう源兵衛さま』
[#ここから2字下げ]
(源兵衛の手を取って背戸より入る)
(夜はしらじらと明け、暁の鐘が鳴る)
[#ここで字下げ終わり]
第三場
[#ここから2字下げ]
(垂幕、湖水の漣《さざなみ》に配して唐崎の松の景。朝の渚鳥が鳴いている。
源右衛門と源兵衛旅姿で花道より出で来り、程よきところにて立止まる。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
源右衛門『これ、忰、暫らくの間の故郷の見納め、この辺で一休みするとしようかい』
源兵衛『此の期《ご》になって、のんきらしい………。早うこの首うって三井寺へ駆けつけさっしゃれ』(片膝つき右の手で頸を叩く)
源右衛門(深い思入れ)『それじゃ、そなたは何もかも、承知の上での旅立ちか』
源兵衛『きのう一同会所で相談。御影像と引換えの首は、誰か一人、若衆から出さずは済むまいと聴いたときから、若者|頭《がしら》の此のわたし、心で覚悟はしておりました。それに今朝方思いがけないおくみとの盃。それを済ますと親子の旅立ち、行先を訊いてもただ遠いところとばかり。こりゃてっきり父者が自分の首とわしの首とを引換えに、三井寺から開山聖人さまの御影像を、取戻す心算《つもり》と知った。なあ父者、永く生きても五七十年、わし等のような素凡夫の首が、尊い御影像に換えられ、御門徒衆一統の難儀を救えるなら、願うても勤めたい親子がもうけ役。ただ気がかりなは、老先短い母御と、若嫁、女ばかりでどう暮して行くやら。お縋《すが》り申すは弥陀の御威徳』(合掌)
源右衛門(同じく合掌)『法の為めには不惜身命《ふしゃくしんみょう》の誡《いましめ》。やわか功徳の無いことがあろうか。生き残るも、死に往くもあなた任せ。心も軽き一葉船、風のまにまに散って行こうぞ』
源兵衛『もうすっかり、気が落附きました。さらば父者』
[#ここから2字下げ]
(西に向き直る。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
源右衛門『うむ、よい覚悟。わしもあとから直きに行く』
[#ここから2字下げ]
(刀を抜いて源兵衛の首を打落す。袖を千切って首を包む。)
(幕、落ちる。)
(正面、三井寺の山門。左右へ厳重な柵が立ち並んでいる。柵内柵外の木々の紅葉は大分散り果てたが、それでもまだ名残《なごり》の色を留めて居て美しい。柵の前に燃え尽きた篝《かがり》が二三箇所置いてある。赤松の陰に「山門制戒」の高札も立っている。
法衣の上に頭巾、冑や腹巻をつけた法師が得物得物を執って固めている。武装した稚児も交っている。遠くで大勢の読経の声終る。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
法師一『何奴《どいつ》だ、そこへ来たのは』
源右衛門(刀を提げ立《たち》はだかったまま)『本願寺浄土真宗、本寺のものだ。山科より使いに来たと、和尚さんへ取次いで下せえ』
法師二『言葉も知らぬ下司《げす》なおやじ奴《め》。その上に刃《やいば》なぞ抜身で携《さ》げ、そもそも此処《ここ》は何《いず》れと心得居る。智証大師伝法|灌頂《かんじょう》の道場。天下に名だたる霊域なるぞ』
源右衛門『言葉が悪くばあやまります。何はともあれ、お預け申した開祖様御影像を、礼物持って受取りに来ました。さっと此処を通して下せえ』
法師三『ならんならん』
法師一『狼藉《ろうぜき》いたさば、そのままには捨て置かんぞ』
法師二『比叡の山法師の拳固の味とはまた違った三井法師の拳固の味、その白髪頭に食って見たいか』(拳を振り上げる)
源右衛門『事を別《わ》けて頼んでいるのに、どうしても通さぬと言うなら、腕立ては嫌いな源右衛門だが仕方もねえ。琵琶湖の浪で鍛え上げた腕節《うでっぷし》。押しても通るが、それで承知か』
法師達『何を小癪《こしゃく》な』
[#ここから2字下げ]
(源右衛門と法師達と睨《にら》み合って詰め寄る。朝の勤行を終え、衆僧を従えて門内を通りかかった円命阿闍梨、立出る。)
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
阿闍梨『これ待て、一同』
[#ここから2字下げ]
(源右衛門、法師等、そこへ
前へ
次へ
全9ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 かの子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング