まする』
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(幸子坊、おくみの方へ松明と火打袋を投げやる。おくみ感謝の涙に暮れる)
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幸子坊『さあ、これでようございます。(空を仰ぎながら)こりゃとても明るい月明り、お上人さま足元をお気を附け遊ばしませ』
蓮如『幸子坊が何のてんごう[#「てんごう」に傍点]を申すことやら、………然し此の世の中は辛いところだ。おくみにはおくみの苦労、わしにはわしの苦労がある。三界無安、猶如火宅《ゆうにょかたく》、ただ念仏のみ超世の術じゃ。さあ行こう』(涙を押える)
幸子坊『南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏』
蓮如『さあ参ろう』
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(おくみ、後姿を見送り合掌、幕)
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第二場
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(舞台正面、源右衛門の住家。牡蠣殻《かきがら》を載せた板屋根、船虫の穴だらけの柱、潮風に佗《わ》びてはいるが、此の辺の漁師の親方の家とて普通の漁師の家よりはやや大型である。庭に汐錆《しおさ》び松数本。その根方に網や魚籠《びく》が散らかっている。庭の上手の方にほんの仕切りしただけの垣があり、枯れ秋草がしどろもどろに乱れている。小さい朽木門を出た五六間先からは堅田の浦の浪打際になっている。引上げられた漁船の艫《とも》が遠近にいくつか見える。
背景に浮見堂が見える。闇夜だが、時々雲の隙から月光が射すのでこれ等の景が見える。座敷の正面に荒家に不似合いの立派な仏壇が見え、正座に蓮如上人を据え、源右衛門と妻のおさきが少し離れて遜《へりくだ》って相対して居る。蓮如上人の弟子竹原の幸子坊は椽《えん》に腰掛けている。)
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源右衛門『夜更《よふ》けといい斯《か》かる荒家へ、お上人さま直々のお運び、源右衛門|冥加《みょうが》の至りに存じます』
蓮如『何の、何の、わしじゃとてそう勿体《もったい》振ってばかりは居らぬ。次第によっては何処《どこ》へでもいつ何どきでも出向きますわい。これがまた当流易行の御趣旨でもあるからのう』
源右衛門『恐れ入りましてございます。御用の筋は』
蓮如『源右衛門。そなたは開山聖人さまの御影像に就いて何か噂を聞き込みはせぬか』
源右衛門『そのことでございます。只今もばばと話して歯噛みをして居ったところでござりました。三井寺方の申条によれば、門徒宗の方に於《おい》て開山聖人さまの御影像を取戻し度《た》くば、生首二つ持参いたせ。それと引換えに渡してやろうと、かような返事との噂を聞きました。お上人さま、そりゃ本当でござりますか』
蓮如『すでに存じておる以上隠し立てもなるまい。三井寺方の返事は全くその通りじゃ』
源右衛門『まさかと思って聴き居りましたに、では本当でござりまするか。如何に乱れた世の中とは言いながら、引換えの料《りょう》に人の生首。こりゃ無理難題を言いかけて御影像を返さぬつもりとしか受取れませぬ』
おさき『出家ともあるものが、人の生首を所望とは、悪魔の所為としか思われませぬ』
蓮如『これには何か仔細のあることであろう。それに就いて源右衛門、そちに頼みがあるが是非聴いては呉れまいか』
源右衛門『数ならぬ御同行の端くれの私|奴《め》へ、お上人さま直々のお頼み、なんで否応を申しましょう。…………然しお情深いお上人さまのそのお口からこの御註文は、ちと仰《おっ》しゃり憎くはござりませぬか。代りにこの私奴から申上げて見ましょうか』
蓮如『ほほう。何と推察せられたか、まあ、言うて見やれ』
源右衛門(あたりを見廻し、少し乗出し、小声になって)『お上人さま、そのお頼みとは、三井寺へ引換えの料の生首二つ、この私奴に調《ととの》えて欲しいと仰しゃるのでございましょう』
蓮如(驚いて手をさし延べ)『源右衛門。必ず早合点をしてはならぬぞ。わしは生首を調達しようとするような若《も》しそういう不心得ものも此のあたりにあらば、そちに留めて呉れいと、留め役を言い付けに来たのだ。滅相もない』
源右衛門(妙な顔して)『なに。留め役でござりますると』
おさき『開山聖人さま御正忌《ごしょうき》会のお※[#「二点しんにょう+台」、第3水準1−92−53]夜《たいや》も近々。御影堂は立派にお出来申したのに、お中身の開山聖人さまのあの御影像が無くて御報恩講が勤まりましょうか。お上人さま始め御門徒衆御一同、数ならぬ私どもまで他宗に対してどうして顔が立ちましょうか』
蓮如『名誉、不名誉は言ってはいられぬ。人の命が大事じゃ。憐れみ深い開山聖人さまが、それ程までして取戻せとも仰《おお》せあるまい。御影像取戻しに就いてはまた折れ合う時節もあろう。此の際、三井寺方の申条に対し瞋恚《しんい》を抱き、
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