喧嘩、強訴、仕返し、その他何によらず殺伐なる振舞いを企つるものあらば、屹度《きっと》そなたから留めて貰い度いのじゃ。頼んだぞ源右衛門』
源右衛門『じゃと申してあまりな無法の言いがかり』
蓮如『年甲斐もない。そちから先に何事じゃ。この頼み聴かずばきっと破門じゃぞ』
源右衛門『ええ?……………是非もない。仰せ畏《かしこま》りましてござります』
蓮如『おさき、そなたも心添えして下され』
おさき『は、は。はい』
蓮如『いや、思わずきつい言葉を放って、さぞ聞き辛くもあったであろう。許して呉りゃれ。何事も思うに足らぬは此の世の常。お互いにお名号に慰められつつ兎《と》も角《かく》も、生きて行く手段が肝要じゃ』
源右衛門、おさき(涙を流しながら)『有難うございます。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏』
蓮如『とこう言ううち、夜半も過ぎた。どれもう一軒訪ぬるところがある。暇《いとま》としよう』
源右衛門『もうお帰りでござりまするか』
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(おさき、竹原の幸子坊の手に松明の無いのを見て)
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おさき『幸子坊さん、松明は?』
幸子坊(手を開いて見て)『えっ、松明? その松明は』(思わず蓮如の顔を見る)
蓮如『何の行き慣れた西近江街道、杖、松明の助けは要らぬわ……………………それに就いて思い出した。こちの息子の源兵衛はな、門徒若衆達の寄合いの帰りに今宵は山科に来ている筈、戻りは遅うなろうも知れん。決して心配さっしゃるな』
源右衛門『御念の入ったおことわり。御用事あらばなんぼなりと、お使いなされて下されまし』
蓮如『では、おさらば』
源右衛門、おさき『おしずかに、おいでなされませ』
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(蓮如上人は幸子坊を連れて出て行く。源右衛門、おさきは朽木の門の外まで送って出て、花道へかかる上人と訣れる。浪の音、雁の声。源右衛門、庭に立ったまま、暫らく腕組みして瞑目している。おさきもこごんで思案して居る。やがて)
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源右衛門『なあ、おさき』
おさき『え、何え?』
源右衛門『上人さまは、わざわざ留めにお出でなされたが、末世の時に叶《かな》い、潮に乗った御門徒衆の、今日此頃の勢い、御同行衆のみんな、やみやみ三井寺方の言い条を、その儘《まま》聴いて泣寝入りとは、どうしてもわしには考えられんのだ』
おさき『わたしにも、そう思われます』
源右衛門『すれば、誰かしらの血を見ることじゃ』
おさき『おお、誰かしらの………』
源右衛門『なあ、おさき』
おさき『はい』
源右衛門『おまえと夫婦で暮したのも三十年あまり。不仕合せなおまえでもなかったと思うが』
おさき『よう判っておりまする。これも仏さまのお蔭、あなたのお蔭。あらためてお礼を申《もうし》ます。わたしに異存はございません。どうぞ思い立った通りにして下さいませ』
源右衛門『すれば、このわしの首をわしの思いの儘に使ってもいいというのか』
おさき『御報恩の為め、また人々の為め』
源右衛門『承知して呉れて、先ずは安心。ところでもう一つの首じゃ』
おさき(顔を押えて)『おお、どうぞ、それを口に言うては下さりますな。それをこの耳に聴いたなら、わたしは息も絶え果ててしまいます。ただ黙って何事も、御宗旨の為め、人々の為めと、わたしに諦めさせて置いて下さりませ。然し二十を過ぎてまだ間も無い若者。そして源兵衛は、あの利発な美しいおくみ坊と兼ね兼ね深く思い合うた仲。二人をどうぞ一時なりとも晴れて夫婦にしてやってから、お役に立てて下さりませ』(泣く)
源右衛門(同じく泣きながら)『辛《つら》い娑婆《しゃば》とは、容易《たやす》く口では言っては居たが、斯くまで辛いと知るは今が始めて。これにつけても期するところは弥陀の浄土。いずれ彼方で待ち合すとしよう。ぐずぐずしているうち心がにぶろうも知れぬ。では、いつとは言わずに直ぐに今から、伜《せがれ》を連れに山科へ出かけるとしようかい』
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(源右衛門行きかける。おさき留める)
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おさき『行きなさるなら門出の仕度。此の世のお礼やら、あの世のお頼みやら、仏様にお燈明《とうみょう》なとあかあかあげて、親子夫婦が訣れのお念仏唱えさせて頂きましょう』
源右衛門『よいところへ気が付いた』
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(二人で仏壇の扉を開け、礼拝の支度)
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舞台半転
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(源右衛門宅の裏の浜辺。源右衛門の家の背戸は、葉の落ちた野茨《のいばら》、合歓木《ねむのき》、うつぎなどの枝木で殆んど覆われている。家
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