――あの――雑司ヶ谷でお目にかかったおんな――いえ――女狐でございます。夫を助けていただいたお礼に参りました。
――そうそう。そんなことがあったっけ、なるほど約束したな。ちょうど霰も降る夜だ。
――早くお入れ下さいまし。
――よしよし、いま待て。
――いくら畜生でも、まことのこころ、恋ごころ、化けていられぬ場合もございます。
――では、正体現すときもあると申すか。
――さあさあ、あの雑司ヶ谷でお目にかかったとき、はじめはそれほどと思いませんでしたけれど、だんだんあなたさまの仕方、なされ方、もし、真実わたくしに誑《たぶら》かされていられるなら、こんないじらしいことはない。したがもし万事承知の上で誑かされたふうをしていられるなら、こんな底気味悪くも頼母《たのも》しいお方はない、どちらにしても、とつおいつのお慕わしさ、恋しさが募れば化狐より本性の女ごころのうぶに還り、いっそこの上は真実この身の正体をと……。
――どうしたと。
――わたくしは、もとから狐でも夫持ちでもご、ご、ございません。(泣き伏す)
――ばかな女、いや狐だな。今更、それを聞いておれが悦んだり慰んだりすると思うのか。人並の恋が
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