飴のように翼《つばさ》や背中に粘《ねば》らしている朝があった。縁側から空気の中に手を差出してみたり、頬を突き出してみたりした復一は、やがて
「風もない。よし――」といった。
日覆いの葭簾を三分ほどめくって、覗く隙間《すきま》を慥《こしら》えて待っていると、列を作った三匹の雄魚は順々に海戦の衝角《しょうかく》突撃《とつげき》のようにして、一匹の雌魚を、柳のひげ根の束《たば》の中へ追い込もうとしている。雌は避けられるだけは避けて、免《まぬが》れようとする。なぜであろうか。処女の恥辱のためであろうか。生物は本来、性の独立をいとおしむためか。それともかえって雄を誘うコケットリーか。ついに免れ切れなくなって、雌魚は柳のひげ根に美しい小粒《こつぶ》の真珠のような産卵を撒き散らして逃げて行く。雄魚等は勝利の腹を閃めかして一つ一つの産卵に電撃を与える。
気がついてみると、復一は両肘を蹲《しゃが》んだ膝頭《ひざがしら》につけて、確《かた》く握《にぎ》り合せた両手の指の節を更に口にあててきつく噛みつつ、衷心《ちゅうしん》から祈っているのであった。いかにささやかなものでも生がこの世に取り出されるというこ
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