だ、プールの灰汁《あく》もよく脱けていないので、産卵は思いとどまり、復一は親魚の詮索《せんさく》にかかった。彼は東京中の飼育商や、素人飼育家を隈《くま》なく尋《たず》ねた。覗った魚は相手が手離さなかった。すると彼は毒口を吐いてその金魚を罵倒《ばとう》するのであった。
「復一ぐらい嫌な奴はない。あいつはタガメだ」
 こういう評判が金魚家仲間に立った。タガメは金魚に取付くのに凶暴性《きょうぼうせい》を持つ害虫である。そんなことを云われながらも彼はどうやらこうやら、その姉妹魚の方をでも手に入れて来るのであった。彼の信じて立てた方針では、完成文化魚のキャリコとか秋錦とかにもう一つ異種の交媒の拍車《はくしゃ》をかけて理想魚を作るつもりだった。
 翌年の花どきが来て、雄魚たちの胸鰭を中心に交尾期を現す追星が春の宵空のように潤《うるお》った目を開いた。すると魚たちの「性」は、己《おのれ》に堪えないような素振りを魚たちにさせる。艦隊《かんたい》のように魚以上の堂々とした隊列で遊弋し、また闘鶏《とうけい》のように互いに瞬間を鋭《するど》く啄《つつ》き合う。身体に燃えるぬめりを水で扱き取ろうとして異様に翻
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