思議に感じた。薄暗くなりかけの崖の道を下りかけていると、晩鶯《ばんおう》が鳴き、山吹《やまぶき》がほろほろと散った。復一はまたしてもこどもの時真佐子の浴せた顎の裏の桜の花びらを想い起し、思わずそこへ舌の尖をやった。何であろうと自分は彼女を愛しているのだ。その愛はあまりに惑《まど》って宙に浮いてしまってるのだ。今更、彼女に向けて露骨《ろこつ》に投げかけられるものでもなし、さればと云って胸に秘め籠めて置くにも置かれなくなっている。やっぱり手慣れた生きものの金魚で彼女を作るより仕方がない。復一はそこからはるばる眼の下に見える谷窪の池を見下して、奇矯《ききょう》な勇気を奮い起した。

 谷窪の家の庭にささやかながらも、コンクリート建ての研究室が出来、新式の飼育のプールが出来てみれば、復一には楽しくないこともなかった。彼は親類や友人づきあいもせず一心不乱に立て籠った。崖屋敷の人達にも研究を遂《と》げる日までなるべく足を向けてもらわぬようそれとなく断っておいた。
「表面に埋《う》もれて、髄《ずい》のいのちに喰い込んで行く」
 そういう実の入った感じが無いでもなかった。自分の愛人を自分の手で創造する
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