「寝てんの?」
 漕ぎ寄せた女は、しばらく息を詰めて復一のその寝顔を見守っていた。
「うちの船が二三艘帰って来て、あなたが一人でもくもくへ月見にモーターで入らしってるというのよ。だから押しかけて来たわ」
「それはいい。僕は君にとても会いたかった」
 女は突然《とつぜん》愛想よく云われたのでそれをかえって皮肉にとった。
「なにを寝言いってらっしゃるの。そんないやがらせ云ったって、素直に私帰りませんけれど、もし寝言のふりしてあたしを胡麻化《ごまか》すつもりなら、はっきりお断りしときますが、どうせあたしはね。東京の磨いたお嬢さんとは全然|較《くら》べものにはならない田舎《いなか》の漁師の娘の……」
「馬鹿《ばか》、黙《だま》りたまえ!」
 復一は身じろぎもせず、元の仰向けの姿勢のままで叫んだ。その声が水にひびいて厳しく聞えたので女はぴくりとした。
「僕は君のように皮肉の巧《うま》い女は嫌《きら》いだ。そんなこと喋《しゃべ》りに来たのなら帰りたまえ」
 恥辱と嫉妬《しっと》で身を慄《ふる》わす女の様子が瞑目《めいもく》している復一にも感じられた。
 噎《むせ》ぶのを堪《こら》え、涙を飲み落す秀
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