人生に無計算な美が絶え間なく空間へただ徒《いたず》らに燃え費されて行くように感じられた。愛惜《あいせき》の気持ちが復一の胸に沁《し》み渡ると、散りかかって来る花びらをせき留めるような余儀《よぎ》ない焦立《いらだ》ちと労《いたわ》りで真佐子をかたく抱《だ》きしめたい心がむらむらと湧き上るのだったが……。
 復一は吐息《といき》をした。そして
「静かな夜だな」
 というより仕方がなかった。

 復一が研究生として入った水産試験所は関西の大きな湖の岸にあった。Oという県庁所在地の市は夕飯後の適宜《てきぎ》な散歩|距離《きょり》だった。
 試験所前の曲《まげ》ものや折箱《おりばこ》を拵《こしら》える手工業を稼業《かぎょう》とする家の離《はな》れの小|座敷《ざしき》を借りて寝起きをして、昼は試験所に通い、夕飯後は市中へ行って、ビールを飲んだり、映画を見たりする単純な技術家気質の学生生活が始まった。研究生は上級生まで集めて十人ほどでかなり親密だった。淡水魚《たんすいぎょ》の、養殖《ようしょく》とか漁獲《ぎょかく》とか製品保存とかいう、専門中でも狭《せま》い専門に係る研究なので、来ている研究生たちは
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