一の孤独が一層批判の焦点《しょうてん》を絞り縮めて来た。
 復一は半醒《はんせい》半睡《はんすい》の朦朧《もうろう》状態で、仰向けに寝ていた。朦朧とした写真の乾板《かんぱん》色の意識の板面に、真佐子の白い顔が大きく煙る眼だけをつけてぽっかり現れたり、金魚の鰭《ひれ》だけが嬌艶《きょうえん》な黒斑を振り乱して宙に舞ったり、秀江の肉体の一部が嗜味《しみ》をそそる食品のように、なまなましく見えたりした。これ等は互《たが》い違いに執拗《しつこ》く明滅《めいめつ》を繰り返すが、その間にいくつもの意味にならない物の形や、不必要に突き詰《つ》めて行くあだな考えや、ときどきぱっと眼を空に開かせるほど、光るものを心にさしつける恐迫《きょうはく》観念などが忙《いそが》しく去来して、復一の頭をほどよく疲《つか》らして行った。
 いつか復一の身体は左へ横向きにずった。そして傾いたボートの船縁《ふなべり》からすれすれに、蒼冥《そうめい》と暮《く》れた宵色の湖面が覗かれた。宵色の中に当って平沙の渚に、夜になるほど再び捲き起るらしい白浪が、遠近の距離感を外れて、ざーっざーっと鳴る音と共に、復一の醒《さ》めてまた睡《ねむ》りに入る意識の手前になり先になりして、明暗の界のも一つの仲間の世界に復一を置く。すると、復一の朦朧とした乾板色の意識が向うの宵色なのか、向うの宵色の景色が復一の意識なのか不明瞭《ふめいりょう》となり、不明瞭のままに、澱《よど》み定まって、そこには何でも自由に望みのものが生れそうな力を孕《はら》んだ楽しい気分が充ちて来た。
 復一の何ものにも捉《とら》われない心は、夢うつつに考え始めた――希臘《ギリシア》の神話に出て来る半神半人の生《いき》ものなぞというものは、あれは思想だけではない、本当に在るものだ。現在でもこの世に生きているとも云える。現実に住み飽きてしまったり、現実の粗暴《そぼう》野卑《やひ》に愛憎《あいぞう》をつかしたり、あまりに精神の肌質《きめ》のこまかいため、現実から追い捲くられたりした生きものであって、死ぬには、まだ生命力があり過ぎる。さればといって、神や天上の人になるには稚気があって生活に未練を持つ。そういう生きものが、この世界のところどころに悠々と遊んでいるのではあるまいか。真佐子といい撩乱な金魚といい生命の故郷はそういう世界に在って、そして、顔だけ現実の世界に出
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