り返して2字下げ]
――連れていらつしやい、僕の家でお會ひします。さよなら。
[#ここで字下げ終わり]
詩人はぽくんと一つ叩頭をして、逃げ出す氣持ちで坂を降りかけたが、何だか物足りないものを殘した氣がしたので、思はず振り向いた。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
――お母さん、そのお孃さんはおいくつです。
[#ここで字下げ終わり]
母親は、こゝに至つて穴にも入りたく、身の置きどころもない樣子をして、手をむやみに磨り合はせてゐたが、顏はぐつと、斜にうつ向けたまゝ、答へたくないものを答へる調子でいつた。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
――あの、それが、九つなのでございまして……。
[#ここで字下げ終わり]
これを聞くと西原氏は、おう! と虎のやうに叫んで、坂下目がけて驅け出した。口惜しいやうな、悲しいやうな、剽きんなやうな、何とも名状しがたい氣持ちがあとから押すやうで、西原氏は、毬のやうな身體のはずみを、坂から三四丁先きの我家まで一氣に飛ばした。そして家に有合せた酒をむやみに呑んで、誰にとも知れない恥かしいわく/\した氣持ちで、呑んで呑み拔いた酒に醉ひつぶれて仕舞つた。
あくる日、西原氏は母親に連れて來られた少女に書齋で會つた。聞いた歳よりはずつと大きく見える少女で、富家の子で榮養も好いのであらうが狂女の病的に發達しませ[#「ませ」に傍点]た體躯の工合ひが十四、五歳位にも見える。明治初期の美人晝に見るやうな瓜實顏に目鼻立ちが派手についてゐて、凄い美人になりさうな少女だつた。一寸見ると、何處といつてきちがひ[#「きちがひ」に傍点]じみた處も無かつたが、よく見ると、尖つた顎の削げ方と、額が押し竦められたやうに迫つて、それに一文字に濃い兩眉がひとに不安の感じを與へる。
少女は一寸伸び上り、おとなしく西原氏と眞向きの椅子に腰をかけると、眼ばたきもせず、しげしげと西原氏の顏を見惚れるのだつた。
西原氏はまた醉つたあくる日の朝の西原氏なので、昨夜のそわそわした氣持ちも拔けてぽかんとした中に嚴肅なものに對する一種の憧憬れを持つてゐるやうな氣分であつた。それで始めは、この狂少女に對して、たゞ憐れみが先に立ちそれほど見度い顏ならたくさん見せてあげようといつた具合ひに、青年顏と少女顏と壯年顏に佛顏が交つた西原氏のこの日本にあまりたぐひない――恰度西原
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