張った苦しさだった。
 加奈江は昼飯の時間が来ても、明子に注いで貰ったお茶を飲んだだけで、持参した弁当も食べなかった。
「どうするつもり」と明子が心配して訊《たず》ねると
「堂島のいた机の辺りの人に様子を訊《き》いて来る」と言って加奈江はしおしおと立って行った。

 拓殖会社の大事務室には卓が一見縦横乱雑に並び、帳面立ての上にまで帰航した各船舶から寄せられた多数の複雑な報告書が堆《うずたか》く載っている。四隅に置いたストーヴの暖かさで三十数名の男の社員達は一様に上衣《うわぎ》を脱いで、シャツの袖口をまくり上げ、年内の書類及び帳簿調べに忙がしかった。加奈江はその卓の間をすり抜けて堂島が嘗《か》つて向っていた卓の前へ行った。その卓の右隣りが山岸という堂島とよく連れ立って帰って行く青年だった。
 加奈江は早速、彼に訊いてみた。
「堂島さんが社を辞めたってね」
「ああそうか、道理で今日来なかったんだな。前々から辞める辞めると言ってたよ。どこか品川の方にいい電気会社の口があるってね」
 すると他の社員が聞きつけて口をはさんだ。
「ええ、本当かい。うまいことをしたなあ。あいつは頭がよくって、何でも
前へ 次へ
全23ページ中6ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 かの子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング