にら》んで
「無論ありませんわ。ただ先週、課長さんが男の社員とあまり要らぬ口を利《き》くなっておっしゃったでしょう。だからあの人の言葉に返事しなかっただけよ」と言った。
「あら、そう。なら、うんとやっつけてやりなさいよ。私も応援に立つわ」
 磯子は自分のまずい言い方を今後の態度で補うとでもいうように力んでみせた。
「課長がいま社に残っているといいんだがなあ、昼過ぎに帰っちまったわねえ」
 明子は現在加奈江の腫れた左の頬を一目、課長に見せて置きたかった。
「じゃ、明日のことにして、今日は帰りましょう。私少し廻り道だけれど加奈江さんの方の電車で一緒に行きますわ」
 明子がそういってくれるので、加奈江は青山に家のある明子に麻布《あざぶ》の方へ廻って貰った。しかし撲《なぐ》られた左半面は一時|痺《しび》れたようになっていたが、電車に乗ると偏頭痛にかわり、その方の眼から頻《しき》りに涙がこぼれるので加奈江は顔も上げられず、明子とも口が利けなかった。

 翌朝、加奈江が朝飯を食べていると明子が立寄って呉れた。加奈江の顔を一寸調べてから「まあよかったわね、傷にもならなくて」と慰めた。だが、加奈江には
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