か莫迦《ばか》らしくなって来たの。殊に事変下でね……。それで往く人をして往かしめよって気持ちで、すれ違う人を見ないようにするのよ。するとその人が堂島じゃなかったかという気がかりになって振り返らないではいられないのよ。何という因業《いんごう》な事でしょう」
「あら、あんたがそんなジレンマに陥っては駄目ね」
「でも頬一つ叩いたぐらい大したことでないかも知れないし、こんなことの復讐なんか女にふさわしくないような気がして」
「まあ、それあんたの本心」
「いいえ、そうも考えたり、いろいろよ。社ではまだかまだかと訊くしね」
「それじゃ私が一番お莫迦さんになるわけじゃないの」
 明子は顔をくしゃくしゃにして加奈江に言いかけたが、堂島に似た青年が一人明子の傍をすれ違ったので周章《あわ》ててその方に顔を振り向けると、青年は立止まって
「何ていう顔をするんですか」と冷笑したので明子はすっかり赤く照れて顔を伏せてしまった。青年はうるさくついて来た。加奈江と明子はもう堂島探しどころではなかった。二人はずんずん南へ歩いて銀座七丁目の横丁まで来た。その時駐車場の後端の方に在った一台のタクシーが動き出した。その中の
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