母親は四つに折った書簡箋をそっと抜き出して拡げた。
「声を出して読みなさい」
父親は表情を緊張さした。
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勇ましいおたより、学生時代に帰った思いがしました。毎晩パンツ姿も凜々しく月光を浴びて多摩川の堤防の上を疾駆するあなたを考えただけでも胸が躍ります。一度出かけて見たいと思います。それに引きかえこの頃の私はどうでしょう。風邪ばかり引いて、とてもそんな元気が出ません……
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「へえ、そりゃほんとうかい」
父親はいつもの慎重な態度も忘れて、頓狂《とんきょう》な声を出してしまった。
「まあ、あの娘が、何ていう乱暴なことをしてるんでしょう。呼び寄せて叱ってやりましょうか」
母親は手紙を持ったまま少し厳しい目付きで立上りかけた。
「まあ待ちなさい。あれとしてはこの寒い冬の晩に、人の目のないところでランニングをするなんて、よくよく屈托したからなんだろう。俺だって毎日遅くまで会社の年末整理に忙殺されてると、何か突飛なことがしたくなるからね。それより俺は、娘の友達が言ってるように、自分の娘が月光の中で走るところを見たくなったよ…………俺の分身がね
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