雪子は怒らうと思つてもなぜか力が脱けた。
 雪子を女として少しも顧慮されない自分を、急に魅力のない卑しいものに感じて、弟に対して感じてゐるふだんの心の底の寂しさを一層深めた。
「仕方がないやつだなあ」
 兄はたうとう負けて、雪子がそこへ置いて来た針道具を、ちよつとかの女に会釈《えしゃく》して、手元へ引き寄せた。針さしから手頃の針を抜き取り、針先を頭の髪の毛へ突き込んで油をにじませた。アイヌの郷土細工の糸巻から、弟の着物と似合ひの色糸を見付けて、針の孔《めど》へ通した。それからいかにも物馴《ものな》れた調子で綻《ほころ》びを繕《つくろ》ひにかゝつた。
 男の針仕事――。いかにぎこちなく、佗《わび》しい形でそれが行はれることだらう。雪子はあらかじめぞりつと寒気を催すと共に、その不快な醜さによつてかの女の神経の肌質《きめ》をさゝくれ立たされることを覚悟してゐたが、兄の手振りを見ておや/\と思つて安心した。より以上に感心した。それは女のする通りの所作に違ひないが、しかしその通りを男の青年がするのに、少しも男の格を崩し、また男の品位を塩垂《しおた》れさすやうな女々《めめ》しい窪《くぼ》みは見出《
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