「かまふもんか」
 兄弟は死のやうに蒼《あお》ざめて争つた。
 兄は息が切れるやうに喘《あえ》いだ。眼を伏せて、なるべく見ないやうにして、着物を弟に着せようとした。弟は肩ではねのけた。幾度か少青年の白磁色の身体が紺竪縞《こんたてじま》の大島の着物に覆はれては剥《む》け出た。兄はその所作の間に、しばしば雪子の方を振り向いてかの女の気配を窺《うかが》つた。
 兄の気持を察すると、弟の童貞で魅惑的な肉体を、自分が心を寄せかけてゐる若い娘に見られることは嫉《ねた》ましく厭《いと》はしかつた。だが我意を貫《つらぬ》くことゝ兄を脅《おど》すことの一図に耽《ふけ》る弟は、今は全く雪子の存在などは無視した。弟は一体ふだんから雪子の存在をどう考へてゐるのか、女といふものに対してどういふ感受性を持つてゐるのか、全く不明だつた。それは雪子を寂しく焦立《いらだ》たしいものにしたが、この場合、彼が何人《なんぴと》に対しても嫌ふ裸身を雪子の前ですらりと現はすといふことは、たとへその目的は兄に向つてゞあるとはいへ、副作用として雪子は無視の軽蔑《けいべつ》を斜《はす》に受けないわけにはゆかなかつた。だが、こゝに至つて
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