なたはお出にならないでしょうと、お嬢さんは二階のお部屋へお入りになりました。晩方、お部屋から出ていらっした時、私があなたがおいでになったのを申上げると、とても、落胆なすっていらっしゃいました。時々お二階の部屋へお嬢さんはお入りになりますが、その時はどんな用事でもお部屋へ申上げに行ってはならないと仰《おっしゃ》いますので……」
 私には判った。それは娘の歎《なげ》きの部屋ではあるまいか、しん[#「しん」に傍点]も根《こん》も尽き果てて人前ばかりでなく自分自身に対しての、張気も装いも投げ捨てて、投げ捨てるものもなくなった底から息を吸い上げて来ようとする、時折の娘の命の休息所なのではあるまいか。
 だが、ときどきにもせよ、そういう一室に閉じ籠れるのは羨《うらやま》しい。寧《むしろ》ろ嫉《ねた》ましい。自分のように一生という永い時間をかけて、世間という広い広い部屋で、筆を小刀《メス》に心身を切りこま裂いて見せ、それで真実が届くやら、届かぬやら判りもしない、得体の知れない焦立たしいなやみの種を持つものは、割の悪い運命に生れついたものである。
「で、今朝お嬢さんは?」
 と私が云うと、やま[#「や
前へ 次へ
全114ページ中44ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 かの子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング