まい。より以上の人間性をと、つき詰めて行くのでもあろう。「青山《せいざん》愛執《あいしゅう》の色に塗られ、」「緑水《りょくすい》、非怨《ひえん》の糸を永く曳《ひ》く」などという古人の詩を見ても人間現象の姿を、むしろ現象界で確捕出来ず所詮《しょせん》、自然悠久の姿に於て見ようとする激しい意慾の果の作略《さりゃく》を証拠立てている。
だが、私は待て、と自分に云って考える。それ等の宿々の情景はみな偶然に行きつき泊って、感得したものばかりである。今、再びそれを捉《とら》えようとして、予定して行って見ても、恐らくその情景はもうそこにはいまい。ただの河、ただの水の流れになって、私の希望を嘲笑《あざわら》うであろう。思出ばかりがそれらの俤《おもかげ》を止めているものであろう。観念が思想に悪いように、予定は芸術に悪い。まして計画設備は生むことに何の力もない。それは恋愛によく似ている。では……私はどうしたらいいであろうと途方にくれるのであった。だが、私は創作上こういう取り止めない状態に陥ることには、慣れてもいた。強いて焦せっても仕方がない、その状態に堪えていて苦しい経験の末に教えられたことも度々ある。
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