燻《くすぶ》るように思い出されて来る。
鱧《はも》を焼く匂《にお》いの末に中の島公園の小松林が見渡せる大阪天満川の宿、橋を渡る下駄の音に混って、夜も昼も潺湲《せんかん》の音を絶やさぬ京都四條河原の宿、水も砂も船も一いろの紅硝子《べにガラス》のように斜陽のいろに透き通る明るい夕暮に釣人が鯊魚《はぜ》を釣っている広島太田川の宿。
水天髣髴《すいてんほうふつ》の間に毛筋ほどの長堤を横たえ、その上に、家五六軒だけしか対岸に見せない利根川の佐原の宿、干瓢《かんぴょう》を干すその晒《さら》した色と、その晒した匂いとが、寂しい眠りを誘う宇都宮の田川の宿――その他川の名は忘れても川の性格ばかりは、意識に織り込まれているものが次々と思い泛《うか》べられて来た。何処でも町のあるところには必ず川が通っていた。そして、その水煙と水光とが微妙に節奏する刹那《せつな》に明確な現実的人間性が劃出《かくしゅつ》されて来るのが、私に今まで度々の実例があった。東洋人の、幾多古人の芸術家が「身を賭《か》けて白雲に駕《が》し、」とか、「幻に住さん」などということを希《ねが》っている。必ずしも自然を需《もと》めるのではある
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