ちから生醤油をつけた掻餅が好きだったのです」
 しかし、いくら子供の好みがそうだからと云って、堺屋のおふくろに面当てがましく、掻餅を目の前で洗い直さないでもよさそうだと木下は思った。その上子供の木下に向って、掻餅を与えながら、一種の手柄顔と、媚《こ》びと歓心を求める造り笑いは、木下に嫌厭《けんえん》を催させた。堺屋のおふくろは箸《はし》を投げ捨て、怒って立って行った。
「また、こういうことがありました。僕が尋常《じんじょう》小学に入った時分でした。その夜は堺屋で恵比須講《えびすこう》か何かあって、徹夜の宴会ですから、母親は店へ泊って来る筈《はず》です。ところが夜の明け方まえになって、提灯《ちょうちん》をつけて帰って来ました。そして眼を覚ました僕の枕元に座って、さめざめと泣くのです。堺屋のお内儀《かみ》さんに満座の中で恥をかかされて、居たたまれなかったと云います」
 これも後で訊《たず》ね合せて見ると、母親の術であるらしく、ほんのちょっとした口叱言《くちこごと》を種に、子供の同情を牽《ひ》かんための手段であった。
「何でも下へ下へと掻《か》い潜って、子供の心を握って自分に引き付けようとするこの母親の術には、実に参りました。子供の心は、そういうものには堪えられるものではありません。僕は元来そう頭は悪くない積りですが、この時分は痴呆症《ちほうしょう》のようになって、学校も仮及第ばかりしていました」
 木下が九つの時に堺屋の妻は、女の子を生んだ。それが今の娘である。しかし、堺屋の妻は、折角楽しんでいた子供が女であることやら、木下の生みの母との争奪戦最中の関係からか、娘の出生をあまり悦《よろこ》びもせず、やはり愛は男の子の木下に牽れていた。木下の母親は、「自分に実子が出来た癖に、まだ、人の子を付け覗《うかが》っている。強慾な女」と罵《ののし》った。
 ところが、晩産のため、堺屋の妻は兎角《とかく》病気勝ちで、娘出生の後一年にもならないうちに死んで仕舞った。
 その最後の病床で、堺屋の妻は、木下の小さい体を確《しっか》り抱き締めて、「この子供はどうしてもあたしの子」とぜいぜいいって叫んだ。すると生みの母親は冷淡に、「いけませんよ」といって、その手から木下を靠《も》ぎ去った。堺屋の主人は始め不快に思ったが、生みの母のすることだから誰も苦情はいえなかった。
 すると堺屋の妻は、木下
前へ 次へ
全57ページ中50ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 かの子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング