の陸橋を渡って、見えていた市の中を通って、なおしばらく水辺に沿って行った処で若い紳士は車を停《と》め、土地の名所である回教の礼拝堂を見せた。がらんとして何もない石畳と絨氈《じゅうたん》の奥まった薄闇《うすやみ》へ、高い窓から射《さ》し入る陽の光がステンドグラスの加減で、虹ともつかず、花明りともつかない表象の世界を幻出させている。それを眺めていると、心が虚《うつろ》になって、肉体が幻の彩りのままに染め上げられて仕舞いそうな危険をほとほと感ずる。私たちは新嘉坡の市中で、芭蕉の葉で入口を飾り、その上へ極端な性的の表象を翳《かざ》しているヒンズー教の寺院を見た。それは精力的に手の込んだ建築であった。
 虚空を頭とし、大地を五体とし、山や水は糞尿《ふんにょう》であり、風は呼吸であり、火はその体温であり、一切の生物無生物は彼の生むところと説く、シバ神崇拝に類して精力を愛するこの原始の宗教が、コーランを左手に剣を右手に、そして、ときどき七彩の幻に静慮する回教に、なぜ南方民族の寵《ちょう》をば奪われたのであろうか。そしてその回教がなぜまた物質文化に圧《おさ》えられたのであろうか。
 私は取り留めもない感想に捉《とら》われながら、娘を見ると、いよいよ不思議な娘に見える。娘はモデレートな夏の洋装をしているのだが、それは皮膚を覆う一重のものであって、中身はこの回教の寺院の中に置けば、この雰囲気に相応《ふさ》わしく、ヒンズー教の精力的な寺院の空気にも相応わしかった。そればかりでなく、この地の活動写真館のアトラクションで見た暹羅《シャム》のあのすばらしく捌《さば》きのいい踊りを眺めていた時の彼女に、私はその踊りを習わせて、名踊子にしたい慾望さえむらむらと起ったほど、それにも相応しいものがあった。
 一体この娘は無自性なのだろうか、それとも本然のものを自覚して来ないからなのだろうか。また再び疑わねばならなくなった。
 それから凡《およ》そ七十|哩《マイル》許《ばか》り疾走して、全く南洋らしいジャングルや、森林の中を行くとき、私は娘に訊《き》いた。
「どう」
「いいですわね」
「いいですって……どういうふうにいいの」
「そうねえ……ここに一生住んで、自分のお墓を建てたいくらい」
 そういう娘の顔は、さしかける古い森林の深いどす青い陰を弾ね返すほど生気に充《み》ちていた。
 時々爆音が木霊《こだま
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