まい。より以上の人間性をと、つき詰めて行くのでもあろう。「青山《せいざん》愛執《あいしゅう》の色に塗られ、」「緑水《りょくすい》、非怨《ひえん》の糸を永く曳《ひ》く」などという古人の詩を見ても人間現象の姿を、むしろ現象界で確捕出来ず所詮《しょせん》、自然悠久の姿に於て見ようとする激しい意慾の果の作略《さりゃく》を証拠立てている。
 だが、私は待て、と自分に云って考える。それ等の宿々の情景はみな偶然に行きつき泊って、感得したものばかりである。今、再びそれを捉《とら》えようとして、予定して行って見ても、恐らくその情景はもうそこにはいまい。ただの河、ただの水の流れになって、私の希望を嘲笑《あざわら》うであろう。思出ばかりがそれらの俤《おもかげ》を止めているものであろう。観念が思想に悪いように、予定は芸術に悪い。まして計画設備は生むことに何の力もない。それは恋愛によく似ている。では……私はどうしたらいいであろうと途方にくれるのであった。だが、私は創作上こういう取り止めない状態に陥ることには、慣れてもいた。強いて焦せっても仕方がない、その状態に堪えていて苦しい経験の末に教えられたことも度々ある。そうあきらめて私は叔母と共に住む家庭の日常生活を普通に送り乍《なが》ら、その間に旅行案内や地図を漁《あさ》ることも怠らなかった。また四五日休みは続いた。
 すると娘から電話がかかって来た。
「その後いらっしゃらないので、この間芸者達とお邪魔したのが悪かったかと思ったりして居りますが……」
 声は相変らず闊達《かったつ》だが、気持ちはこまかく行亘《ゆきわた》って響いて来た。
「何も怒ることなぞ、ありませんわ。お休みしたのはちょっと仕事の都合で」
 と答えた。
「いかがでございましょう。父がこのごろ天気続きの為めか、身体がだいぶよろしゅうございますので、お茶一つ差上げたいと申しますが、明日あたりお昼飯あがり傍々《かたがた》、いらして頂けないでございましょうか、お相客はどなたもございません。私だけがお相伴さして頂きます」
 私はまたしても、河沿いの家の人事に絡み込まれるのを危く感じたが、それよりも、いまの取り止めない状態に於て、過剰になった心にああいう下町の閉された蔵造りの中の生活内部を覗《のぞ》くことに興味が弾んだ。私は招待に応じた。


 東京下町の蔵住いの中に、こんな異境の感じのする世
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