らきら陽光を漉《す》き込んでいる。片帆の力を借りながら、テンポの正規的な汽鑵《きかん》の音を響かせて、木下の乗る三千|噸《トン》の船はこの何とも知れない広大な一鉢の水の上を、無窮に浮き進んで行く。舳《へさき》の斜の行手に浪から立ち騰《のぼ》って、ホースの雨のように、飛魚の群が虹のような色彩に閃《ひら》めいて、繰り返し繰り返し海へ注ぎ落ちる。垣のように水平線をぐるりと取巻いて、立ち騰ってはいつか潰《つい》える雲の峯の、左手に出た形と同じものが、右手に現れたと思うと、元のものはすでに形を変えている。
 積荷の塩魚のにおいの間から、ふとすると、寒天や小豆粉のかすかなにおいがする。陸地に近づくと大きな蝶が二つ海の上を渡って来る。
「この絢爛《けんらん》な退屈を何十度となく繰り返しているうち、僕はいつの間にか、娘のことを考えれば、何となく微笑が泛《うか》べられるように悠揚とした気になって来ました。」娘のすることなすことを想像すると、いたいけな気がして、ただ、ほろりとする感じに浸れるだけに彼はなって来た。で、今まで嫌やだと感じる理由になっていた、女嫌いの原因になるものは、どうなったかというと、彼の胸の片隅の方に押し片付けられて、たいして邪魔にもならなくなって来た。いつの間にか人をこうした心状に導くのが南の海の徳性だろうか。
 男はここまで語って眉頭《まゆがしら》を衝《つ》き上げ、ちょっと剽軽《ひょうきん》な表情を泛べて、私の顔を見た。
「そこへあなたのご周旋だったので、ありがたくお骨折りを受け容《い》れた次第です」
 ここで私は更に男に訊《たず》ねて見なければ承知出来なかった。
「そういうことなら、なぜ娘さんにその気持ちの径路を早く行って聞かさないで、こんな処で私一人に今更打ち明けるのですか」
「ははあ。」といって男は瞑目《めいもく》していたが、やがて尤《もっと》もという様子でいった。
「今までの話、僕はあなたにお目にかかってどうしても聞いて頂き度《た》くなったのですが、これをあの娘に直接話したら……」だんだん判って来たのだが元来あの娘には、そういった女臭いところが比較的少ない。都会の始終|刺戟《しげき》に曝《さ》らされている下町の女の中には、時々ああいう女の性格がある。だが若《も》しそんな話をして、いくらかでも、却《かえ》って母親達のような女臭さをあの娘に植えつけは仕ないだろ
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