りを想《おも》う女の本能、そういうものが後先の力となって、自分で生むと生まないとに係らず、女が男の子というものに対する魅着は、第一義的の力であるのであろう。
「そういっちゃ何ですが、僕は子供のときはおっとりして器量もなかなかよく、つまり、一般の母性に恋いつかれるように出来た子供だったらしいのです」木下は苦笑しながら云った。
娘は片親でも鷹揚《おうよう》に美しく育って行った。いつの間に聞き込んだか、木下と許婚《いいなずけ》の間柄だと知って、木下を疑わず頼りに思い込んでいる。ところが女の為めに女を見る目を僻《ひが》ませられて仕舞った若い頃の木下には、娘がやさしくなつかしそうにする場合には、例の母親がした媚《こ》びて歓心を得る狡《ずる》い手段ではないかと、すぐそれに対する感情の出口に蓋《ふた》をする気持ちになり、娘が無邪気に開けて向って来るときは、堺屋のおふくろがした女の気儘《きまま》独断を振り翳《かざ》して来るのではないかと思って、また、感情に蓋《ふた》をする。
「今考えてみれば、僕は僻《ひが》みながらも僕の心の底では娘が可哀想《かわいそう》で、いじらしくてならなかったのです」
「僕はこの二重の矛盾に堪え切れないで、娘に辛く当ったり、娘をはぐらかして見たり、軽蔑《けいべつ》してみたり、あらゆるいじけた情熱の吐き方をしたものです。そうしたあとでは、無垢《むく》な、か弱いものを惨忍に踏み躙《にじ》った悔いが、ひしひしと身を攻めて来て、もしやこのことのために娘の性情が壊れて仕舞ったら、どうしたらいいだろう……」
彼が学問で身を立てるつもりで堺屋の主人に頼んで、段々と上の学校へ上げて貰おうとしたのは、学問の純粋性が彼に沁《し》み込んで、それによって世の中を見るようになれば、女の持つ技巧や歪曲《わいきょく》の世界から脱れようかとも思った。ところが、彼が青年になり、青春の血が動くようになるほど、娘のことを考え、この自分の矛盾に襲われ、結局しどろもどろになって、落付いて学問なぞしていられず、娘を愛しながら、娘の傍にはいたたまれなくなって来た。そうかといって、他の女はもっと女臭いものが、より多くあるような気がして女がふつふつ嫌であった。
とうとう彼は二十一の歳に高等学校をやめて、船に乗り込んで仕舞った。
娘は何も知らずに、木下がやさしい性情が好きなのだと思い取っては、そのように
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