や》いているようにも聞えたりした。もし坂道へ出て眺めたら、たぶん下町の灯は冬の海のいさり火[#「いさり火」に傍点]のように明滅しているだろうとくめ子は思った。
客一人帰ったあとの座敷の中は、シャンデリアを包んで煮詰った物の匂いと煙草の煙りとが濛々《もうもう》としている。小女と出前持の男は、鍋火鉢の残り火を石の炉《ろ》に集めて、焙《あた》っている。くめ子は何となく心に浸み込むものがあるような晩なのを嫌に思い、努めて気が軽くなるようにファッション雑誌や映画会社の宣伝雑誌の頁を繰っていた。店を看板にする十時までにはまだ一時間以上ある。もうたいして客も来まい。店を締めてしまおうかと思っているところへ、年少の出前持が寒そうに帰って来た。
「お嬢さん、裏の路地を通ると徳永が、また註文しましたぜ、御飯つきでどじょう汁一人前。どうしましょう」
退屈して事あれかしと待構えていた小女は顔を上げた。
「そうとう、図々《ずうずう》しいわね。百円以上もカケ[#「カケ」に傍点]を拵《こしら》えてさ。一文も払わずに、また――」
そして、これに対してお帳場はどういう態度を取るかと窓の中を覗いた。
「困っちまうね
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