て来た青灰色のブルーズ着の一人の青年とぱつたり顔を見合して、思はず立停《たちどま》つた。山中で珍らしく人と人とが出遇《であ》つたときのやうな眼の離されない惧《おそ》ろしさと、同時に物なつかしい感情がかの女の胸を掠《かす》めた。月光に明瞭《めいりょう》に照された青年の顔は、端正な目鼻立ちにかすかな幽愁《ゆうしゅう》を帯びてゐた。青年はやゝ控へ目に声をかけた。
「いゝ夜ですね。曾我さんの妹さんでせう。中へ入りませんか。」
歳子はさすがに狐疑《こぎ》した。「これはどういふ青年なのであらう。兄がこの近所に学校の後輩の家があるといつたが、大方それだらうか。」
青年はすぐ「今夜、うちの庭はとてもいゝですよ。」と云つた。
その声はあまりに世の中の普通の言葉に何のかゝはりも持たない、卒直で親しみのある声だつた。歳子は青年の誘ふその声に自然する/\と入つてみる方に気持ちを傾けてしまつた。しかし表面静かに微笑して一応辞退した。
「有難う。でも――」
「懸念なさることありませんよ。」
「でも」
「あんたのお兄さんは僕を知つてられる筈《はず》ですよ。兄さんは僕の学校の先輩です。」
歳子はやつぱりさうか
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