いふ時にかの女は兄と良人と、そして自分との間柄を考へて、自分はある意味で非常に幸福な女であるかも知れないが、またかういふ自分の肝腎《かんじん》な気持ちを自分に一ばん近しい人が了解しない以上、自分は却《かえ》つて世の中で一ばん不幸な女であるかも知れないとも考へた。だが、このことは口でいつても判ることではなし、むしろ独りで夜の空気の中を彷徨《ほうこう》する方が焦燥《しょうそう》の感じを少くした。
 歳子の兄の住む土地の一劃は、道路まで誰か個人の私有地になつてゐて、道の口々は柵門《さくもん》で防がれ、割合ひに用心堅固の場所だつた。女の真夜中の一人歩きもたいした心配はなかつた。かの女はそろ/\出かかつた月の光を吸ひつゝ木の茂みから来る理智的な湿り気と、大地から蒸発する肉情的な蘊気《うんき》の不思議な交錯の中に漂渺《ひょうびょう》とした気持ちになつて、いくつか生垣《いけがき》について角を折れ曲つた。鋏《はさみ》を入れず古い茨《いばら》の株を並木のやうに茫々《ぼうぼう》と高く伸びるがまゝにした道の片側があつて、株と株の間は荒つぽく透けてゐた。何気なく通るかの女は、同じく何気なく垣の中からすうつと出
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