一體こんな呑気《のんき》なことであたしいゝのでせうか。」
歳子は飽満に気付いて、あるとき婚約中の良人に訊《き》いた。すると良人は思慮深く考へてゐたが、すぐ明るく眉《まゆ》を開いていつた。
「といつて、なにも強《し》ひて苦労を求めるのも不自然ですよ。まあ、呑気にしてゐられるうちはしてゐるんですね。」
歳子は未来の良人の頭の良さを信頼すると共に、あまり抱擁力のある明哲なものに向つて、なぜかいくらか反感を持つた。
兄の家へ戻つてから間もない日のことである。歳子は兄と一緒に音楽会へ行つて帰りにベーカリーに寄つて、そこで喰べたアイスクリームのバニラの香気が強かつたためか、かの女は家へ帰つて床《とこ》についても眠られなかつた。腺病質《せんびょうしつ》のこどもだつた時分に、かういふ夜はよく乳母《うば》が寝間着の上に天鵞絨《ビロード》のマントを羽織《はお》らせて木の茂みの多い近所の邸町《やしきまち》の細道を連れて歩いて呉《く》れた。天地の静寂は水のやうに少女を冷やした。するとかの女は踏む足の下が朧《おぼろ》になつてうと/\として来た。かの女の口が丸く自然に開いて小さい欠伸《あくび》が出た。目敏《
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