ヤを切つて小皿に載せ、レモンを絞つてかけてから、匙《さじ》と一緒に差出した。藐姑射山《はこやのやま》に住むといふ神女《しんにょ》の飲みさうな冷たく幽邃《ゆうすい》な匂ひのするコツプの液汁を飲み、情熱の甘さを植物性にしたやうな果肉を掬《すく》つて喰べてゐると、歳子はこころがいよ/\楽しくなつた。蚤《のみ》の喰つたあとほどの人恋しさの物憎い痒《かゆ》みが、ぽちりと心の面に浮いた。牧瀬のスポーツシヤツの体からは、半人半獣のやうな健やかな感触が夜気に伝つて来た。
 森から射上げられるやうな鳥の影が見えて、「きや/\」といふ鳴声がした。梟《ふくろう》に脅《おど》かされた五位鷺《ごいさぎ》だと牧瀬はいつた。歳子の襲はれさうになる恋愛的な気持ちを防ぐ本能が、かの女にぶる/\と身慄《みぶる》ひをさして、その気持ちを振り落さした。
 東京の中にこんな山の窪地《くぼち》のやうに思はれるところがあるとは、歳子は牧瀬に誘はれて、この庭へ来るまで想像しても見なかつた。ここは三四代前からの牧瀬の邸《やしき》で、隣接する歳子の兄の家の敷地も昔はこの邸内になつてゐた。昔この辺は全く江戸の田舎《いなか》で、狐《きつね》
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