ヌ河を距《へだ》ててノートルダムの尖塔《せんとう》の見える鴨《かも》料理のツールダルジャン等一流の料理屋から、テーブルの脚《あし》が妙にガタつき縁《ふち》のかけたちぐはぐの皿に曲《まが》ったフォークで一食五フラン(約四十銭)ぐらいの安料理を食べさせる場末《ばすえ》のレストラントまで数えたてたら、巴里《パリ》のレストラントは一体《いったい》何千軒あるか判《わか》らない。
牛の脊髄《せきずい》のスープと云《い》ったような食通《しょくつう》を無上《むじょう》に喜ばせる洒落《しゃれ》た種類の料理を食べさせる一流の料理店から葱《ねぎ》のスープを食べさせる安料理屋に至るまで、巴里の料理は値段相当のうまさを持っている。たとえ、一皿二フランの肉の料理でも、十分に食欲と味覚は満足させてくれる。
所謂《いわゆる》美食に飽《あ》きた食通がうまい[#「うまい」に傍点]ものを探すのは中流の料理屋に於《おい》てである。巴里の料理屋にはどこにも必ずその家の特別料理《スペシャリテ》と称するものが二三種類ある。美食探険家はこういう中流料理屋のスペシャリテの中に思わぬ味を探し当てることがあるという。
巴里に行った人
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